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一人の凡庸教師の愛に満ちた歴史。ジェイムズ・ヒルトン「チップス先生、さようなら」レビュー【ネタバレなし】

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■チップス先生、さようなら(著:ジェイムズ・ヒルトン、訳:白石 朗)
新潮文庫 2016年2月1日発行

(原著:1933年12月アメリカ・ブリティッシュ・ウィークリー誌クリスマス号にて発表)

ジャンル:短編小説、心理フィクション
ページ数:本編125ページ(序、解説を除く)
読破所要時間:約1時間
※1ページを30秒で読んだ場合

■要素:イギリス、ブリティッシュスクール、教師、回顧、回想録、戦争と世界情勢

 

■あらすじ

老齢のチップスは、ブルックフィールド校と道を挟んで反対側にあるミセス・ウィケットの家に部屋を借りて住んでいる。チップスは暖炉の前に座りながら、六十余年間身を捧げたブルックフィールド校での記憶を回顧する。

 

■雑感(個人的見解を大いに含みます)

これはもうマイナーというより名作再発見ということになりそうです。というのもこの「チップス先生、さようなら」は、調べてみれば発表当時のアメリカ・イギリスにおいて大絶賛され、映像化も何度かしているようです。

映像化先の作品については今回はとりあえず置いておいて、本作を読んでまず思った事。

というか本編に入る前に著書ヒルトン氏による「序」の項目があるのですが、そこに述べられていたこと。

 

「(天啓を受け、衝動のままに書き上げた本作が、私が野望の頂点と定めていた「アトランティック・マンスリー誌への掲載」を成し遂げ、アメリカで大成功を収めたのちイギリスへ凱旋した)この経緯をいささかの自負をまじえてつぶさに語るとしても、私は謙虚になることを忘れないつもりだ。こうした夢物語が現実になる作家がどれほど少ないかを知っているからであり、また作品の美点の多寡にかかわりなく、ある程度の幸運の要素が抽出されるからだ。

 

もうなんかここ読んだだけでこの本を手に取って幸運だと思ってしまった・・まだ本編入ってないのに・・

2020年代を生きる私にとっては、星の数よりも多く見える小説というジャンルにおいて、新しく書き上げて世に出しても大勢の注目を得られるのは稀な幸運によるものだと思っていましたが、1930年代でも既にそういう認識はあったのだなあとしみじみと思ってしまいました。

 

さて本編ですが、超簡単に内容を言ってしまうと、イギリスの架空のパブリックスクール「ブルックフィールド校」で過ごした事、感じたことをチップス先生が回顧していくという流れ。

 

そもそもパブリックスクールとは?と思ってWiki先生に聞いてみた。

パブリックスクール (public school)は、13歳から18歳までの子弟を教育するイギリスの私立学校の中でも上位一割を構成する格式や伝統あるエリート校である非営利の独立学校の名称。』

だそうです。現在は男女共学も増えているそうですが、本作発表当時は寄宿制の男子校だったとか。

 

このブルックフィールド校は、作中では18世紀からの長い歴史を持ち、「幸運には恵まれず、名門校とまではならなかった」「廃校寸前まで衰える時代もあれば、あと一歩で有名校の仲間入りを果たすところまで栄えた」と、安定しない社会的地位を持った学校と語られています。

そしてそういう学校だからこそ、「社会的にも学問的にも、一目置かれるが傑出はしていない」チップス先生が教師として採用されたという流れ。

そしてチップス先生はごく一般的な感性として、いつかは校長に昇り詰めてやるという野心を持っていましたが、次第に自分にはその資格が欠落しているのだと気づき、しかしその頃にはブルックフィールド校に深く根差した教師となっていたので、相応の身の振る舞いをすることに決めた。

 

この辺り、なんかすごく身に覚えがあるような。

「序」にて著者が述べられた通り、謙虚って大事であるとともに、それに気づくのはある程度の経験を重ねてからのことが多い気がする。だけど気づいたからといって謙虚であり続けるのはとても難しい。だからこそ、序盤でこのように語られていてハッと気づかされるんですよね…。

 

そして本編中でチップス先生に多大な影響を与える、後に奥さんとなるキャサリン

娘ほど年の離れた彼女でしたが、頑固な側面のあったチップス先生に対し柔軟な考えで議論し、学校においても人気者となります。

 

ぼかして書くと、チップス先生はキャサリンよりずっと長生きするんですが、老齢期に入りつつあったチップス先生のユーモアの加速や生徒たちとの温かみのある交流は、確実に彼女の影響が強く出ていると作中でも語られています。

 

そして、本著のタイトルでご賢察くださいなラストに至るまで、幾度の学校からの脅威や社会情勢の波に揉まれながらも幸福に満ちて暮らせたのは、深く愛した彼女の存在あってこそなのは間違いないですね。

 

前にレビューした「輝く夜」の中の「ケーキ」でもそうでしたが、人生の最後に幸せを感じられるように生きることを夢見れば、少しだけ明るい視界になりそうだなと思いました。

謙虚であること、自分に影響を与えてくれる誰かに出会えること、そして自分の紡いできた歴史を拠り所にしてくれる誰かがいることの幸せを感じられる本作でした。

 

惜しいなと思ったのは、自分にもう少し世界史のまともな知識があれば、もっと楽しめただろうなと…。勉強不足*1

 

*1:+_+